2008年に起きたリーマンショック。アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、その影響が世界的な金融危機へと連鎖しました。もちろんその影響は日本にもありました。
今回は「リーマンショックで夫の収入が半減したのが一番きつかった」というタイトルで話をお聞きしました。
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共働きは時間的にも精神的にも余裕がなく…
52歳女性。専業主婦です。
今は、子どもも独立し、夫婦二人で暮らしています。
子どもが小学生になる前までは共働きでした。
そのため、お金に不自由していると感じたことは、あまりありませんでした。
そして、その頃は、わたしの収入の半分くらいは貯金にまわしていました。
しかし、共働きというものは、時間的にも、精神的にも余裕がありませんでした。
そんなことから、子どもが小学生になるのをきっかけに、わたしは仕事を辞めてしまいました。
高校の授業料と下宿代を支払うと手元に残るお金はわずか…
子どもが中学校を卒業するまでは、義務教育ということもあって、子育てにかかるお金も、あまり多くはありませんでした。
しかし、子どもが高校生になって、我が家の経済状況は変わってきました。
いなかに住んでいるので、子どもは市外の高校へと進学しました。
そして、下宿生活を始めました。
高校の授業料と、子どもの下宿の料金とを支払うと、手元に残るお金はわずかでした。
それでも、学資保険などの振り込みをおこない、何とか大学への進学資金をつくろうと考え、必死に節約生活を送っていました。
子どもが高校1年生の頃までは、それでも何とかなりました。
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リーマンショックで夫の収入は半減…節約を頑張ったが…
しかし、子どもが高校2年生の頃、いわゆるリーマンショックが訪れて、わたしたちの生活は一変しました。
夫は製造業で働いていたんですが、夫の収入は半減しました。
そのため、ひと月の収入の中から、子どもの高校の授業料や下宿の料金を支払う余裕はありませんでした。
また、大学進学へ向けてのお金を貯えるような余裕もありませんでした。
そのため、貯蓄額も、どんどんと減っていったのでした。
このままではいけないと強く思いました。
いなかに住んでいると、仕事ができる場も少ないです。
そんなことから、わたしがパートに出るという選択肢も考えられませんでした。
しかし、節約にも限界がありました。
まず、おこなったことは、売れるものを売ってみるということでした。
たとえば、古いブランド品などは、リサイクルショップに持ち込むと、五千円とかいった価格になりました。
これも、生活費の足しとして役立ちました。
しかし、まとまったお金が必要だというのが本音でした。
民間の年金保険の解約でなんとかピンチを切り抜けた
そんなとき、わたしも夫も、結婚して以来、民間の年金保険に加入していることを思い出しました。
そして、二人そろって、それを解約したのでした。
そのおかげで、何とかピンチを切り抜けることができました。
しかし、老後にもらえるはずだった年金はなくなってしまいました。
今は、いざという時に解約できるものはありません。
そんなことから、貯められるときに貯めることを心がけています。
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